伏見稲荷
京都の旅行ガイドや観光ブックでも必ず紹介される有名な伏見稲荷大社ですが、実は知ってるようでお稲荷さんの参拝方法や参拝できる時間・所要時間など基本的なことも知らなかったりします。
せっかくの京都旅行、少しだけ時間を割いて伏見稲荷大社の基本の参拝方法やご利益のこと千本鳥居の誕生秘話、お稲荷さんに戦いを挑んだアノ人のことなど事前に確認して、知的で素敵な京都の旅にして欲しいですね。
今回は人気観光スポット京都でも近年多くの参拝者が訪れ賑わう伏見稲荷大社についてご紹介します。
では、さっそくチェックしていきましょう!
実はこの伏見稲荷大社、伊勢神宮ともつながりがあります。
お稲荷さんはお伊勢さん!?
親しみをこめお稲荷さんと呼ばれている京都の伏見稲荷大社。
その伏見稲荷の主祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)といいます。
食物穀物を司る女神であり、伊勢神宮 天照大御神(内宮)の食事を司る御食津神(みけつかみ)、豊受大御神(外宮)の別名だとする説がある。
つまり、伊勢神宮外宮の神さまと伏見稲荷大社の神さまは同じだという考え方があります。
少なくとも神宮で教科書的に扱われている神道五部書などの古い重要な書物に内宮の御倉神、外宮の調御倉神は「宇迦之御魂大神」と記されています。
あまり深くマニアックになっても読みにくいと思いますので伏見稲荷大社とお伊勢さんとのつながりについては、このぐらいにしておきます。
次に伏見の稲荷三神をチェックしましょう。
伏見稲荷大社
伏見稲荷三神と稲荷大神
主祭神の宇迦之御魂大神と佐田彦大神、大宮能売大神を総じて「稲荷三神」と呼ばれる。
五社宮本殿を正面に見て中央が下社、右隣りに上社、北側左隣りに中社。
一般的に上の方が位が高い、真ん中だけに中の方が特別かも・・・と想像してしまうのですが違います。
伏見稲荷大社では下社が中央にあたり、センターポジションに宇迦之御魂大神が祀られています。
さらに、その左奥に田中大神と右奥に四大神が鎮座している。
この5柱の神さまを総じて、伏見稲荷大社では「稲荷大神」としています。
神さまの話が続いてちょっと疲れ気味ですかね?
では、本題の参拝時間や所要時間をチェックする小ネタで気分転換しましょう。
米俵とキツネの耳
京都府民だけでなく、全国で広く愛される国民食。
時間をかけて煮込んだ甘い油揚げで酢飯を包んだ狐色のお稲荷さんこと「いなり寿司」。
みなさんは、いなり寿司をイメージする時に俵型ですか?
たぶん、俵型を想像したのは関東の人かな。
京都中心に関西で稲荷寿司と言えば、三角です。
これは全国的に稲荷神=五穀の神さまなので五穀豊穣から俵型。
京都、大阪など関西では伏見稲荷の神さまの御使い「狐」の耳を模して三角だという説があります。
けっこう有名な話なので、もうご存知だったかも。
なんとなく耳をすますと「伊勢神宮やら出雲大社やら神社系のブログなのに、もっと自慢できそうなネタはないの?」的な声が聞こえてきそうなので、もう少し深いところもご紹介しておきますね。
ご利益は伏見のキツネがくわえている
一般な神社では、狛犬(獅子)が置かれていますよね?
しかし、ここ伏見稲荷大社では狛犬ではなく神使の「お狐さま」が出迎えて下さいます。
これは京都伏見の稲荷社に限らず、豊川稲荷や祐徳稲荷でも同様に狐が狛犬の代わりを務めています。
参拝に訪れたら伏見稲荷大社のお狐さまの口元をチェック!
ある物を口にくわえています。
それはご利益を表すともされる4つのアイテムです。
- 稲穂は実りの象徴、五穀豊穣。
- 巻物は知恵の象徴、学業成就。
- 鍵は米蔵の鍵で蔵は富と財力の象徴、富は家の繁栄につながり家庭円満。
- 玉は宝玉で財と命の象徴、商売繁盛と健康や病気平癒。
このうち稲穂をクローズアップしてみます。
皆さんは、お守りやお札、ご祈祷など神社に納めるお金を初穂料というのはご存知でしょうか?
その年の秋、初めて収穫した稲の穂「初穂」を神さまに捧げたことに由来しています。
また、その昔に稲の穂つまり米を現代の税金?の代わりに年貢米として国に納めるていたようにある意味で通貨の役割も果たしていました。
伏見稲荷のお狐さまがくわえている黄金色の稲穂。
この黄金色の稲穂も伏見稲荷大社が商売繁盛、金運招福のご利益を授けるとされる理由のひとつです。
このように伏見稲荷大社の神さまのご利益は広大で初詣には全国から250万人が年始の初参りに訪れ、全国5位の参拝者数を誇る人気ぶり。
そんな伏見稲荷の神使「狐」にかつて戦いを挑んだ有名な戦国武将がいました。
天下統一を成し遂げ、幼い頃から稲荷大神を大切にしてきた・・・って、また脱線し始めましたね。
この話は本題のあとでまた書くとして伏見稲荷大社の参拝できる時間やお参りの仕方、所要時間を先にチェックしましょう。
参拝・拝観できる時間
- 24時間
- 本殿参拝 30~40分
- お山めぐり1時間30分
- 観光気分なら2時間30~3時間
今では世界的にも有名になり海外から旅行に来た外国の方々も訪れる美しく幻想的な伏見稲荷大社。
京都旅行の最終目的地になる事もありますが、祇園、嵐山、貴船に鞍馬と他の観光スポットとあわせて参拝に訪れる人も多いですね。
そんな時、気になるのが参拝にかかる所要時間と本殿に拝殿から参拝でるのは何時~何時までなのか?
いわゆる営業時間というか参拝可能な時間ですが伏見稲荷大社では閉門時間がありません。
ご祈祷を受けたり、お守り、御朱印などをいただく予定でなく拝殿から本殿を参拝するだけなら早朝、深夜に関係なく24時間365日いつでもOK!
だから旅行スケジュールのなかで都合の良い時間を見つけて訪れる事が可能。
ちなみに日が暮れるとライトアップされ千本鳥居はさらに幻想感を増して妖艶さすら感じます。
そして、参拝方法です。
参拝方法
他の神社と違う点、訪れた人なら誰もが気付く千本鳥居に代表されるように大小さまざまな鳥居とキツネ像の多さです。
せっかく伏見稲荷を参拝するなら千本鳥居サイズは難しいけど、片手で持てるサイズの小さな鳥居「願かけ鳥居」800円ぐらいなら絵馬がわりに奉納したい。
奮発して5000円を納めれば、もう少し大きめのそれなりの見栄えがするサイズのものを奉納することもできる。
ちなみに千本鳥居サイズの5号を奉納する費用は175.000円で申込みから建立されるまで4~5年ほどかかります。
次に参拝にかかる所要時間。
所要時間
所要時間ですが、本殿だけであれば仮に最寄り駅から歩いて向かっても参拝して30~40分程度。
千本鳥居をさらっとくぐり抜け、おもかる石で知られる奥の院(正式には奥社奉拝所)までなら2時間ぐらいを考えておきたい。
本来の稲荷詣でである3つの峰からなる稲荷山に点在するお社を詣でるお山めぐりをさらっとするなら山頂の一ノ峰(上社神蹟)末広大神まで本殿から約1時間ほどが必要。
そして、再び千本鳥居や本殿を目指し下山するので1時間30分。
しかし、せっかく京都まで観光に旅行に来て伏見稲荷大社を参拝するならお守りを頂いたり、山頂のまでの参道にある休憩所の茶屋などにも立ち寄りたい。
そう考えると2時間30分~3時間ぐらいの時間をみておきたい。
他にも女性から縁結びのお稲荷さんとして人気の荒木神社の口入稲荷にも参拝したい!
その場合には伏見稲荷の本殿、千本鳥居から奥の院、山頂の末広大神を参拝してから裏参道を下り、荒木神社に向かってください。
余談ですが、周辺の観光ガイドブックの地図などで荒木神社の東側に伏見豊川稲荷と掲載されていることがあります。
こちらは京都「伏見稲荷大社」と愛知「豊川稲荷」を混同してしまった訳ではなく、実在する「伏見豊川稲荷本宮」という神社です。
と、また話が外れました。
本題の所要時間に戻して、このルートで参拝した場合にはさらっと巡って2時間ぐらい想定しておきたい。
ちなみに、伏見稲荷大社のおみくじやお守りお札の授与とご祈祷を受ける場合は次の時間帯に参拝をしてください。
本殿左側に在る伏見稲荷のお守り授与所は7時から18時まで。
ご祈祷は8時30分から始まり16時が最終受付、16時30分まで。
せっかくなので、人気のお守りとお札を少し紹介しておきましょう。
お札
伏見稲荷大社と記された一般的なものお札 1000円。
・企業向け
商売繁盛の祈祷がされた商売繁昌札 1000から2000円。
お守り
- 無病息災と所願成就の稲荷守商売繁盛の商売繁昌守
- 厄除けの厄除守
いずれも800円。
- 装飾が豪華な所願成就と長寿の特別守 3000円
- 病気平癒守 1500円
- 金運招福の銭守 1000円
- 学業成就と受験合格のお守りの学徳守、合格守ともに500円
その他、交通安全のお守りなどもありますがきりがないのでここまで。
ちなみに御祈祷の費用は一般的なもので3.000円から20.000円。
神楽奉納する場合、30.000~100.000円まで用意されています。
すでに参拝時間の項目でご案内したのですが、千本鳥居と同サイズの大きさ5号鳥居を奉納する場合には申込みから建立まで4~5年で費用は175.000円となります。
そういえば、伏見稲荷大社のシンボルにもなっている千本鳥居ですが、実は江戸時代になってから一気に建立が盛んになったんです。
その背景にはアノ大企業が関係、それもまた稲荷神が商売繁盛のご利益があるとされる出来事の一説です。
これで本題の参拝のできる時間(営業時間)や所要時間、参拝方法にお守りやお札の紹介はひと段落です。
ここからは、千本鳥居が建立されきっかけとなった出来事とその大企業についての話。
伏見稲荷のキツネに戦いを挑んだ有名な戦国武将の話など雑学的な小ネタをご紹介していきます。
さて、ここまでの話の順番を考慮するとキツネ、伏見稲荷に戦いを挑んだ豊臣秀吉の話からかな。
伏見稲荷の大楼門 出世稲荷と狐憑き
伏見稲荷の表参道に堂々と構える大きな楼門は高さ15メートルで京都の神社の中で最大といわれている。
この楼門を建立したのも秀吉だとされている。
豊臣秀吉と稲荷明神との出会いは幼きころ母であるのちの大政所(おおまんどころ)に連れられ訪れた名もなき尾張、現在の愛知県名古屋市の稲荷明神。
母は息子のゆく末を安じ立身出世を願い参拝を重ねた。
母の必死の願いが神さまに通じたのでしょうか、秀吉は織田信長と縁が結ばれるとトントン拍子に取り立てられ出世。
城持ちの武将に昇りつめ、その後も織田信長亡きあとライバル武将たちとの戦に次々と勝利し54歳で天下統一まで果たした。
秀吉はお稲荷さんへの感謝として城内に稲荷社を祀りました。
それが現在京都市左京区に移転した満足稲荷神社。
しかし、天下統一を果たし秀吉はおごりたかぶるようになり、古くから仕える家臣たちを次々に追放してしまう。
それは、もっとも側近の千利休まで切腹させてしまうに至る。
そのごう慢ぶりは神仏にまで向けられ国家鎮護のため作ってい大仏が大きな地震で崩れてしまった時のこと、秀吉は「己も守れん仏がこの世を守れるものか!」と、大仏のひたいに矢を放ったといいます。
すると神仏の怒りをかったのか秀吉の娘、豪姫が狐に取り憑かれてしまいます。
そこで秀吉は行いを反省するどこらか伏見稲荷大社に怒りを向け、豪姫から速やかにキツネを追い払え! さもなければ伏見稲荷の社殿を破壊し日本国中のキツネも狩ると脅し戦いを挑んだのです。
しかし、不幸はさらに続き、母の大政所までもが病に倒れます。
国中からあらゆる薬を取り寄せ、信頼できる医師を呼び寄せ治療にあたらせましたが、一向に回復しません。
手を尽くしてもどうするこもできない、無力さを痛感した秀吉が最後に頼ったのは他でもない伏見稲荷でした。
伏見稲荷大社には病気平癒の願いが込められた手紙「願文」が保管されています。
この願文を届け、母のために祈る秀吉の願いが叶い大政所は回復すると喜びと感謝を表すため大きな楼門を建てたのです。
そして、この楼門もある意味で千本鳥居の先駆けでもあります。
では、最後に千本鳥居についてです。
千本鳥居の誕生と三囲稲荷
いまや伏見稲荷大社のシンボルとなった千本鳥居。
創建から1200年以上の伏見稲荷大社ですが、千本鳥居の歴史はそれほど古くない。
江戸時代のこと、商人である三井高富は先代が創業した越後屋の経営をまかされていました。
創業以来、順調に売上げを伸ばし収益を上げてきましたが、成功した越後屋を妬む同業の嫌がらせから減収となりはじめ悩んでいました。
ある日、江戸の町を歩いていると三井高富は小さな神社と巡り会うのですが、それが伏見稲荷大社から分祀された三囲稲荷。
三井の井の字を四角で囲えば、三囲となる、三井を囲い守るようなお稲荷さんだと感じた。
越後屋の奉公人を引き連れ熱心に参拝するようになり、すると次第に嫌がらせが止みだし、それどころか店は客で賑わい売上げが急上昇で商売繁盛。
ちなみに、越後屋とは三越(三越伊勢丹ホールディングス傘下の株式会社三越伊勢丹)の前進です。
すると江戸の商人、町民たちは越後屋の繁盛の理由はお稲荷さんを祀っているご利益だとささやくようになり一大お稲荷さんブームが起きたといいます。
やがてブームは全国に広がり、いつしかお礼に鳥居を奉納する習慣が生まれるとお稲荷さんの総本宮である京都の伏見稲荷大社には鳥居建立の参拝者がおしかけ、千本鳥居が誕生することになったといわれている。
現代でもその習慣は続いています。
幻想的で神秘的な千本鳥居の景観は伏見稲荷大社のご利益に感謝する人たちによって自然に生みだされた美しき心の現れなのですね。
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