お彼岸の期間 お墓参り
彼岸は先祖を供養する仏教の行事。
もしかしたら、そう思っていませんか?
実は、それ少し認識不足なところがあります。
でも、安心して下さい。
日本人の半数以上、もしかしたら8割以上の人がそう認識していると思います。
今回は、そんな彼岸の期間や常識のほか伊勢神宮を中心としたブログならではの読んでみると「えっ!そうなんだ 以外だった」と思う内容を紹介します。
お彼岸のことなら正解をすべて分かっているという人は読む必要がありません。
では、さっそく彼岸の期間をチェックしましょう。
お彼岸の期間 2020年
- 彼岸の入り:3月17日
- 彼岸の中日:3月20日(春分の日)
- 彼岸の明け:3月23日
秋の彼岸
- 彼岸の入り:9月19日
- 彼岸の中日:9月22日(秋分の日)
- 彼岸の明け:9月25日
お彼岸の期間は毎年いつから、いつまでと決まった日程で固定されていません。
その理由は国立天文台の予測した「春分の日」「秋分の日」を中日として前期3日、後期3日の7日間とするからです。
なかには、春分・秋分も国民の祝日なのに決まった日ではないことを疑問に思う人がいるかもしれません。
そこにも彼岸ならではの理由があります。
春分・秋分の日
春分・秋分の日(彼岸の中日)はこの条件を満たした日と定めているため固定されていません。
だから、毎年のように彼岸の入りはいつ?明けるのは?と調べる人が多いです。
それでも、思うかも知れません。
「彼岸まで春分・秋分の日に合わせなくても固定すれば忘れなく良いと思う」
「そもそも、彼岸と太陽の動きなんて関係ないでしょ」
確かに、私もその方が彼岸の期間が分かりやすいし休日の計画も立てやすいと思います。
しかし、そこに「彼岸は仏教の固有の行事」というだけではない理由があります。
その理由の前に、この「彼岸期間には先祖のお墓参り」をするという習慣は日本だけのものだと知っていましたか?
知らなかった人も少なくはないと思います。
仏教の国といえば、釈迦の生まれたインドや中国が有名ですよね。
彼岸という言葉はインドが起源が、仏教が誕生した国、インドには「彼岸」という期間や習慣がありません。
それなのに日本仏教では春・秋のお彼岸に先祖供養をします。
どうして?
その答えも、先ほどの理由に関係してきます。
では、その理由をチェックしましょう。
彼岸と日願(ひがん)の天照大御神
彼岸といえば仏教の大切な行事として位置づけられ、辞典などでも解説されています。
一般常識という例え方をするのであれば、現在において仏教の行事と答えられたら正解、常識人。
しかし、日本特有の仏教における彼岸という習慣が広く浸透していった背景には日本固有の神道や自然信仰の日願に由来した先祖を大切にする考え方、習慣が大きく影響しています。
日願は、日に願う。
伊勢神宮の内宮、天皇のご祖神(先祖)とされる天照大御神は太陽神(日神)とされている。
つまり、日願は太陽神の天照大御神に一般人は五穀豊穣や家内安全、ご縁などを願う。
役人たちは国の繁栄や安泰、勝利を感謝し願うことだと訳される。
そのため、彼岸は日願だと考えると春・秋のお彼岸と太陽の動きに関係性が生まれます。
だったら、彼岸は伊勢神宮や神社に参拝する慣わしになるのじゃないの?
ですよね。
次に彼岸が仏教と深く結びついていくきっかけをチェックします。
彼岸と神道の融合のはじまり
伊勢神宮を根本とする神道では穢れとされた病や死にふれないところがありました。
そこで仏教が登場します。
日本で最初に彼岸会が行われたのは仏教伝来から300年ほど経った9世紀。
平城天皇の即位を自害に追い込まれた早良親王(崇道天皇)の怨霊が妨げないよう、二月と八月の七日以外は全国の国分寺の僧侶らに金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)を奉納させたものが彼岸にあたるらしい。
国分寺とは国を守るために創建された仏教寺院。
その国分寺の本部といえる寺院が2つあります。
法華寺(国分寺尼寺)
当時は宗派などはなく、聖武天皇の命によって金光明最勝王経と妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)を写経し七重塔を建て納めることだった。
そうすると、やっぱり彼岸の根本的なところは仏教なんじゃないかと思いますよね。
次に仏さまと天照大御神についてチェックしましょう。
仏さまと太陽の神さま
彼岸は日願に起因するものとして、聖武天皇が写経させたお経の考え方とお寺の本尊が日願に通じるものでした。
それを簡単に説明すると、この経典を読み広めて政治をおこなえば国は豊かになる。
四天王(仏教を守護する仏さま)や弁才天、吉祥天などの諸天善神(しょてんぜんじん)が国を守護する。
当時は聖武天皇の直筆の写経をした書が国分寺の実質的な本尊としていたとされる。
また、金光明最勝王経は当時のインド医学で病因論と思われる内容が詳細に記されていた。
そこには多くの病因は太陽を中心とした気候の変化と飲食が適合しない場合に起きるとされ、太陽が人間の生死を左右するところにも関係するとも説かれていた。
天皇にしてみるとご先祖で太陽の神で天照大御神が中心。
さらに、この経典は密教の色合いが濃い。
密教では摩訶毘盧遮那仏(まかるしゃなぶつ)一般的に大日如来(太陽)という仏さま仏界の中心。
国分寺の本山である東大寺の仏像は盧舎那仏(るしゃなぶつ)を音訳すると光明遍照(こうみょうへんじょう)を意味するそうです。
宇宙の根本の真理をすべての人に照らして悟りに導く仏さま。
一方の法華寺も創建当時は同様に密教とゆかりある寺院だったらしい。
平城天皇の時代の役人や天皇もすべてを照らすものは太陽だと示されることで受け入れやすかったのかもしれません。
そんな背景に太陽が沈む西の彼方(かなた)に「極楽浄土」があるという仏教の思想がなじみやすかった。
これがご先祖の魂をしずめ、安息と感謝の祈りをささげ、お墓参りをするなどの日本特有の彼岸という習慣になりました。
ちなみに彼岸の意味は、苦悩などのない悟りの境地すなわち極楽浄土とされています。
それに対し、私たちの暮らすところを此岸といいます。
次に伊勢神宮の春季皇霊祭についてチェックします・
彼岸と伊勢神宮の皇霊祭
これまでの内容で日本的彼岸のはじまりは天皇の霊を鎮めるためのものだったとしてきました。
つまり春と秋におこなわれる皇霊祭、これは神道的彼岸行事です。
そして、春分・秋分の日に皇霊祭がおこなわれます。
この日、宮中皇霊殿において天皇が歴代の天皇はじめ皇族方の御霊(みたま)に鎮魂の祈りをささげられます。
それを伊勢から神職たちも遥拝(ようはい)するというものです。
遥拝とは、遠く離れたところから拝礼するという意味。
最後になりますが、彼岸が仏教、神道どちらを起源とするものなのかについては諸説あります。
先祖を敬い、供養する古きよき日本の習慣にどちらが先で後は大きな問題ではありません。
ふだん、なかなか行くことのできないお墓参り。
彼岸には、ご先祖さまへ敬愛の思いを伝えにでかけるのも良いのではないでしょうか。
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