東京大神宮の七夕祈願祭限定の幸せ星守りと七夕の由来

東京大神宮 七夕祈願祭

五節句のひとつに数えられる七夕の日、東京のお伊勢さんとして親しまれる東京大神宮では七夕祈願祭がおこなわれます。

6月1日から東京大神宮では七夕期間として願い事を書く短冊と数量限定のお守りが授与がされていました。

限定のお守り「幸せ星守り」は大変な人気で授与が終了となってしまいましたが、再度授与されることが決まりました。

今回は東京大神宮の七夕祈願祭の開始時間や「幸せ星守り」の再授与を始める日程と初穂料、七夕の由来・起源についてご紹介します。

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七夕祈願祭の日程

  • 開催日:7月7日
  • 祈願祭:14時から
  • 受 付:13時半から
  • 境内ライトアップ:21時まで

東京大神宮の七夕祈願祭は毎年開催され多くの参拝者が訪れます。

この七夕祈願祭では参加者の心願成就と除災招福を祈って神職が大御神さまに祝詞を奏上されます。

参加受付時間は、七夕当日の13時半から17時半まで。
※時間内でも申込書がなくなり次第終了。

七夕祈願祭に参加するには初穂料として2000円を納めます。

神職によるご祈願は14時から約100名ごとに数回実施され参加者には七夕祈願祭のために特別に用意された七夕守などが授与されます。

七夕期間限定の「幸せ星短冊」と「幸せ星守り」

東京大神宮七夕祈願祭

Photo.by:伊勢神宮が大好き!

  • 幸せ星守り:800円
  • 幸せ星短冊:300円

写真は左が幸せ星まもり、短冊の写真を取り忘れましたが、お守りとおなじミントカラーの五角形です。

右は今持っている縁受守りが古くなったので再度授与していただいたもの。

6月1日から「幸せ星短冊」と「幸せ星守り」が七夕期間限定で授与されています。

願い事を書く短冊「女性用の織姫短冊」「男性用の彦星短冊」に今年から新しく五角形の幸せ星短冊が加わりました。

いづれも初穂料(価格)は300円。

短冊は七夕当日の七月七日まで授与されています。

中央に五芒星(星型)がデザインされたミントカラーで五角形のかわいいお守り「幸せ星守り」は七夕期間、数量限定で授与。

6月23日で授与終了でしたが、あまりに好評で再度授与して欲しいとの声もあり、7月1日から再度授与を数量限定、期間限定でおこなうことが決定しています。

幸せ星守りの初穂料(価格)は800円です。

その他、東京大神宮のお守りや参拝方法については東京大神宮のお守りと縁結びのご利益を高める秘儀でご案内しています。

ちなみに伊勢神宮では東京大神宮ような縁結びのお守りはなく種類も多くありません。
気になる人は「伊勢神宮のお守り・神札の種類と料金」でご紹介しています。

東京大神宮だけじゃない七夕祭

東京大神宮といえば、縁結びのご利益に定評がありますね。

そんな東京大神宮だからこそ7月7日の七夕に1年のうち1度だけ天の川を渡って織姫と彦星の夫婦が愛を育むという物語と縁結びが自然と結びつきます。

同様に京都で修学旅行生に縁結び神社として人気の地主神社では恋愛成就七夕祭の名称で開催されています。

地主神社の七夕祭りも14時から始まります。

東京大神宮の短冊が織姫、彦星、幸せ星の3種から選び願い事を書いて納めたのに神職や巫女さんが境内の笹に結び付けてくださいます。

これに対して地主神社では1種類で民芸品のこけしを模った「七夕こけし」に願い事を書いて自分で笹に結び付けるスタイル。

ほかにも諸説ある七夕伝説のひとつ筑前大島天の川伝説の発祥地である福岡県宗像市の大島にある宗像大社中津宮でも七夕祭が開催されます。

しかし、宗像大社の七夕祭は旧暦の7月7日に近い8月7日に島内に七夕飾りを装飾するなど盛大におこなわれます。

また、一般的に知られる七夕の物語「天の川を隔て離れ離れの織姫と彦星が七夕の日にだけ逢うことができる」という内容的に無縁そうな学問の神さま菅原道真をお祀りしている福岡の太宰府天満宮でも「七夕の宴」が開催されます。

でも実は無縁というわけでもなく、これには七夕の起源や宮中行事が関係しています。

では、せっかくなので七夕の起源について少し書いてみます。

七夕の由来、起源

七夕飾り
短冊に願い事を書き、笹に結び付ける七夕。

現在のように五色の短冊を笹に結びつけるというスタイルは江戸時代に始まったとされています。

五色は古代中国の「木=青・火=赤・土=黄・金=白・水=黒」の五つの要素が、この世のすべての根源である」という陰陽五行説にちなんでいるといいます。

本題の由来、起源には諸説があり有名なものは織姫と彦星の伝説、棚機神事(たなばたしんじ)、乞巧奠(きこうでん)の3つです。

棚機神事(たなばたしんじ)

古来の日本にあった禊ぎ(みそぎ)行事であり、神事であった「棚機(たなばた)」に由来する説。

神さまが降臨する川や池など清らかな水辺に建てられた機屋(はたや)で神さまの服「神御衣(かんみそ)」を織るための機械「棚機」で織り上げるために選ばれた穢れなき純潔の乙女を棚機津女(たまばたつめ)と呼びました。

神御衣を棚に供えて、神さまをお迎えした棚機津女は神さまと結ばれ、神子を宿します。

神さまはお喜びになり人々のためにその年の豊作と降りかかる災厄や穢れを祓われ、また神さまの子を宿した棚機津女は自らも神となったというもの。

織姫と彦星の伝説

一般に広く知られる七夕の物語。

天帝(天の神)の怒りにふれ、天の川を隔て離れ離れとなった織姫と彦星が1年のうち7月7日に1度だけ会うことを許されるという物語。

そのストーリーは中国の牛郎織女(ぎゅろうしゅくじょ)という物語が発祥だとされています。

天の神の娘として生まれた織姫は年ごろになっても毎日化粧も身なりにも気を遣わずに機織り仕事していました。

そんな織姫に見合う婿を探していたところ働き者で勤勉な彦星という牛飼いの青年を知り、織姫と結婚させることにします。

二人は夫婦となり仲睦まじく暮らしていましたが、一緒にいることが楽しすぎてほとんど仕事もしなくなってしまいました。

天の神さまは幾度となく働くように諭されますが働こうとしません。

ついにお怒りになった神さまは織姫と彦星を天の川を隔て離れ離れにされました。

しかし、今度は悲しみに暮れ過ごすようになり、さらに働くことが出来なくなり神々の服は不足し、牛はやせ細り病となる始末。

困った神さまは毎日陰ひなたなく真面目に働くことを条件に7月7日だけ会えるようにした。

織姫と彦星は恋人同士だと思われている人が多いのですが実は夫婦だったんですね。

乞巧奠(きっこうでん)

乞巧奠は機織りや裁縫などの技術や芸事の上達を願いおこなわれるもので「乞巧」は巧みを乞うという意味があり、「奠」には神さまに供物をささげる、崇めるという意味があります。

乞巧奠の発祥となるのは古く中国で誕生した織姫と彦星の伝説と同じく牛郎と織女が登場する物語。

織女が機織りや裁縫が上手だったことや地上人に機織りを教えたことから機織りや裁縫が上達するよう祈る対象になりました。

物語は結論として地上に住む牛郎は天に住む織女と恋に落ち夫婦となり地上で子をなし幸せに暮らしていました。

しかし、天の住人である織女と牛郎が夫婦となることは天の規律を乱すことで許されるものではありませんでした。

結局、天からの使いの老婆によって織女は天上に連れ戻され、それを悲しんだ子どもたちが泣きじゃくる姿に胸を痛めた天の神さまが牛郎織女たち家族を毎年7月7日に会えるようにしてあげた。

やがて奈良時代になると日本にもその物語と習慣が伝わり、宮中行事となります。

史実では聖武天皇の時代、734年7月7日の晩に七夕の歌を読ませたことが宮中での七夕行事の最初だとされています。

乞巧奠が初めて宮中でおこなわれたのは孝謙天皇の時代、755年7月7日だったと記されている。

宮中での七夕行事は後に季節の果物や野菜、鯛やアワビなどを供え、星を眺めながら雅楽を奏で、和歌を詠んで、七夕の宴を楽しみつつその上達を祈るようになります。

太宰府天満宮の七夕の宴はこれに通じるもので祭神である菅原道真は学問だけでなく和歌など芸事の才にも恵まれていました。

最後に東京大神宮のアクセス方法をご紹介しておきます。

アクセス


住所:東京都千代田区富士見2丁目4−1

最寄り駅
JR中央・総武線「飯田橋駅」西口から徒歩3分
地下鉄有楽町線・南北線「飯田橋駅」B2a出口から徒歩5分
地下鉄東西線・大江戸線「飯田橋駅」A4出口から徒歩5分

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